筑後国一の宮 高良大社:公式ウエブ :  玉垂宮御尊像(たまたれぐうごそんぞう)

玉垂宮御尊像(たまたれぐうごそんぞう) 

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「玉垂宮御尊像」(資料番号:絵画 三)

 

 眺めていると思わず身が引き締まる、いかめしい表情。描かれているのは、高良大社に祀られる高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)です。どうしてこんな表情をしているのでしょうか。

 高良玉垂命は「古事記」「日本書紀」に登場しないため、どんな神様なのかわからず、昔からその実体について議論されてきました。この御尊像が描かれた頃は、神功皇后(じんぐうこうごう)を助けて軍を率いたという伝説が残る武内宿禰(たけうちのすくね)に比定されていたようで、その姿を模していると考えられます。

 御尊像の上部に記された文字は、この神様が武勇に優れ、気丈であることを称えたもの。深いシワを刻み、長い白髭を蓄えているのは、武内宿禰が5代の天皇に仕えて約300年を生きた長寿の人とされるからでしょう。

 左下には「法橋具慶謹圖之」と作者の署名があります。「具慶」とは江戸時代前期の画家、住吉具慶(すみよしぐけい)のこと。大和絵の流派の一つ、住吉派で初めて幕府の御用絵師となった人物です。「法橋(ほっきょう)」という地位にあったのは延宝2(1674)年から元禄4(1691)年の間なので、描かれたのはこの時期であることがわかります。

 もう一点、同じ高良玉垂命を描いた御尊像があります。構図や色彩といった見た目もそっくり。

 

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「玉垂宮御尊像」(資料番号:絵画 二)

 

 こちらも同じく江戸時代の制作とされる一方で、室町時代に描かれた可能性も指摘されています。昭和14年に当社で作成された宝物の解説書(※1)に室町時代末期の制作と記載され、美術史の研究者からも描線がより古いことを指摘されているからです。

 なお、この御尊像は大正7年に厨(くりや)久子氏が買い求めて高良大社に奉納したことが記録されています(※2)。厨家は代々、高良山で仏事に奉仕する座主坊の財務司、目代を務めた家。つまり、久留米藩で神仏分離が始まった明治2年に高良山でも座主が退寺を命じられ、その混乱の中で一度は失われたものの、関係者の手によって買い戻されたという経緯があるようです。

 制作年代が古いためか、所在が移り変わったためか、前者の御尊像に比べるとこちらの方が、ヒビ割れや塗料の剥がれ落ちなど、傷みが目立っていたことから、令和2年から同3年にかけて修復を行いました。現在は制作当時により近いと思われる姿を取り戻しています。

※1 「寳物貴重品解説」(資料番号:記録類 一件3)
※2 「寶物貴重品及奉納品臺帳」(資料番号:編纂記録 宝八)

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