絹本著色高良大社縁起(けんぽんちゃくしょくこうらたいしゃえんぎ) 説話図
福岡県指定有形文化財
社寺の起源や由来を記す「縁起(えんぎ)」。高良大社にもその由来を記録した「高良玉垂宮縁起」があります。内容は漢文で記されているため、かつては貴族や僧侶などの知識人しか読むことができませんでした。大衆に広く高良山の社寺の霊験を知らしめるために、「高良玉垂宮縁起」を元に描かれたのが「絹本著色高良大社縁起」の二幅です。
二幅は「絵縁起」とも呼ばれ、共に縦横の長さは2m以上。とても大きく、彩り豊かな「絵縁起」に当時の人々は圧倒されたはず。「題箋(だいせん)」と呼ばれる短冊状の白い紙片の文字がところどころ消えかかっているのは、布教者が観覧者に対して繰り返し絵解きを行なった証でしょう。制作時期は明らかになっておらず、今のところ残された資料から一六世紀と推測されています。
「絹本著色高良大社縁起 説話図」(資料番号:絵画 一−一)
二幅の内、海を表現する群青色が鮮やかな「説話図」には、高良大社のご祭神である高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の活躍が描かれています。神功皇后の三韓出兵のときに現れ、戦勝に導いたという高良玉垂命。その各場面がたなびく雲に区切られながら順不同で展開します。
始まりは右上端にある「日向国武市城(たけちじょう)」。仲哀天皇が崩御されるまでの話が右上部に置かれます。次に左上部で、仲哀天皇の妃・神功皇后が天照大御神の教えを請い、それに従って挙兵することに。
雲で区切られた二段目の中央では、神功皇后が「筑前四王寺峯」で榊に金鈴を掛けて、七日七夜お祈りをしたところ、東の空から住吉大神と高良玉垂命が現れます。高良玉垂命は若く、雲から出た秋の月のように端正な顔立ちだったとか。高良玉垂命は「藤大臣(とうのおとど)」の称号を与えられ、大将として出陣します。
四段目の中央付近で、高良大社に合祀される豊比咩大神(とよひめおおかみ)を使者に立て、龍王宮で「干珠満珠(かんじゅまんじゅ)」を借り受けます。
そして、下部の半分近くを使って、クライマックスである合戦を大きく描写。「干珠満珠」の投入によって潮が引き、また満ちて渦巻く波に、敵軍が翻弄される様子は迫力満点。戦いに勝利した後、三段目右端の「筑前国生宮(うみのみや)」で神功皇后は皇子を産み、物語は幕を閉じます。
こうして、「説話図」によって高良玉垂命のありがたいご神徳が多くの人々に説かれました。高良山に対する篤い信仰を集めることができたのではないでしょうか。