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石造大鳥居(重要文化財)

明暦(めいれき)元年(1655)久留米二代藩主有馬忠頼(ありまただより)公が寄進されました。石材は領内の15歳から60歳までの男子のべ10万人が運んだということです。[地図へ]

御手洗池(みたらいいけ)

古くから神様が手水を使われたと伝えられ「御手洗」の名が起こりました。池の中には厳島(いつくしま)社が祀れられています。[地図へ]

祇園山古墳(ぎおんやまこふん)(県指定史跡)

東西約25m、南北24m、高さ約6mの方墳です。二段の葺石を有し、墳丘の周囲には60基以上の石蓋(いしぶた)等の棺が発見され九州でも最も古い方墳です。[地図へ]

第二鳥居

参道と自動車道が分岐する所に建てられた鳥居で、昭和44年9月に江崎柾氏を始め多数の方々の寄進によるものです。これより山内は清浄さが最も大切にされます。[地図へ]

自動車道

昭和8年より36年にかけて完成された参拝車道で、今は耳縄(みのう)スカイラインに通じております。[地図へ]

礫山(つぶてやま)古墳

古墳時代前期の古墳。この古墳の石棺には、岩盤に4基分棺を堀り込んだ特殊なもので、内部には朱が塗られていまれていました。[地図へ]

桃青霊(とうせいれい)神社

俳聖、松尾芭蕉を祀ります。隣接して宮地嶽神社があります。芭蕉を神としてまつったのは全国でもここが最初といわれています。[地図へ]

愛宕(あたご)神社

愛宕神社は、京都府愛宕山の神で、火伏せ、火難除けの神として広く信仰されておりますが、特に牛馬の守護神としても篤い信仰を集めております。寛文11年(1671)に現在地に鎮座されました。[地図へ]

岩下動〔三尊磨崖種子(さんぞんまがいしゅじ)〕(市指定文化財)

愛宕神社の鳥居をくぐり左に折れた所、南側の一枚岩に仏を表わす種子が刻まれてます。中央が地蔵菩薩、左右は不動・毘沙門の三尊です。[地図へ]

大学稲荷神社

筑前・筑後稲荷十社の筆頭といわれ、明和8年(1771)京都の伏見から勧請されました。稲荷神社は、もともと穀物の神でしたが、その後、商売繁昌の神として御利益いちじるしと、庶民に親しまれています。[地図へ]

孟宗金明竹(もうそうきんめいちく)(国指定天然記念物)

金明竹(緑と淡い黄色が竹の節間に交互に現われた竹)は、全国にありますが孟宗竹は、ここを含めて四ケ所だけです。[地図へ]

三ノ鳥居・本坂(ほんざか)

131段の急な石段です。古くは、この石段より南にある下向坂が本参道であったかと思われますが、現在は、この石段が正面です。わきに修復工事寄進者名の入った石碑があります。[地図へ]

高良会館

昭和40年、崇敬老・参拝者の増加にともない休憩所・婚儀殿等の多目的利用をめざして建設されました。高良会館6階展望台からの筑紫平野の眺望はすばらしく、終日参拝者でにぎわいます。山内では、この建物が一際大きく見えます。[地図へ]

中門(ちゅうもん)・透塀(すきべい)

七代藩主有馬頼憧公が安永6年(1777)に寄進しました。朱の色が本殿背後の樹々の緑によく映えます。[地図へ]

本殿(ほんでん)・幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)(重要文化財)

万治2年(1659)から同4年にかけ、久留米藩主有馬頼利公の寄進により造営され、こけら葺き、権現造(ごんげんづくり)の社殿は、江戸時代初期の特色をよくとどめています。なお、拝殿・幣殿の格天井絵(ごうてんじょうえ)は狩野白信(かのうがくしん)宝暦5年(1755)に描いたものです。[地図へ]

神籠石(こうごいし)(国指定史跡)

御本殿の背後から山裾まで約1500mにわたって、1300個の巨石が神域を取り囲むようにつらなっています。このような列石は、福岡・佐賀・山口県で八ケ所確認されており、古代の山城跡とも、神域の標示ともいわれ、わが国古代遺跡中最も壮大なものです。[地図へ]

大樟(おおぐす)(県指定天然記念物)

元来は二本であったものが地際(ちぎわ)で癒合(ゆごう)。根廻り30.5m、高さ23.5m、樹齢数百年と推定。[地図へ]

下向坂石段

麓から参道を登ってきますと、この石段下に出ます。右手に宝塔院跡があります。[地図へ]

歴代座主墓地(れきだいざすぼち)(御井寺所有)

高良山歴代座主が眠る墓地で初代隆慶(りゅうけい)上人から58世亮純(りょうじゅん)までの墓や供養塔などがあります。[地図へ]

旧宮司邸・蓮台院御井寺跡(れんだいいんみいでらあと)

高良山は神の山であるとともに仏の山でもありましたが排仏殿釈により明治2年、仏教は高良山から追放されました。それ以前の高良山仏教の中心がここでした。[地図へ]

伊勢御祖神社(いせみおやじんじゃ)

延喜式内当国所在四座の内の一座であり、古くは現御井小学校「伊勢の井」付近にありましたが、江戸時代この地に移転しました。[地図へ]

馬蹄石(ばていせき)

高良の神が御鎮座のはじめ、神馬の蹄(ひづめ)の跡を残されたと伝えられる巨石で、古くはこの石が「神籠石(こうごいし)」と呼ばれていました。[地図へ]

琴平(ことひら)神社・吉見嶽城跡(よしみだけじょうあと)

吉見嶽は桜の名所として知られています。中世の山城で、大友宗麟・豊臣秀吉も陣を張りました。今日、本丸には琴平神社がまつられ、永世和平碑があります。[地図へ]

参道

片道徒歩約20分を要します。高良神鎮座以来、幾百万人が、この参道を歩んだことでしょうか。[地図へ]

奥宮

「奥の院」と呼ばれる、霊水が湧く聖地で、高良大社の奥宮です。諸願成就の神として民間の信仰きわめて驚く、現在も「寅」の日には多数の参拝があります。[地図へ]

高良山

標高312mとそれほど高い山に感じられませんが、九州最大の筑紫平野の中央に突出し、地政的に絶好の位置を占め、古代より宗教・政治・文化の中心、軍事・交通の要衝として歴史上きわめて大きな役割を果たしてきました。別名「高牟礼山(たかむれやま)」「不濡山(ぬれせぬやま)」とも呼ばれ、ここを起点として背後に耳縄山脈が広がっています。[地図へ]